五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が 現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

五旬節とはユダヤの祭の一つです。この時はイエスが昇天された後でした。しかしイエスがまだ地上におられた時、弟子たちに約束されたのです。「ユダヤを離れないで祈って待っていなさい。
わたしは聖霊を遣わします」と。彼らは実行して、祈って待ちました。

弟子たちは聖霊を受けたときから力を受けたのです。伝道する力です。

弟子たちは聖霊を受けた時から信仰が深まりました。私たちも聖霊を受けると信仰が深まります。「神はおられる」という信仰です。

使徒2;16-18
これは、預言者ヨエルによって語られた事です。「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにもわたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。」

今でも聖霊の約束は変わりありません。「求めなさい。そうすれば与えられます。」

使徒2:25-28
ダビデはこの方について、こう言っています。「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。
主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。あなたは私のたましいをハデスに捨てておかず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。」

「ダビデはいつも主を見ていた」と言っています。私達もいつも主を見ていきたいものです。
主を見る者に主もまた目を注いでくださいます。

右とは権力を現し、また保護を現します。ダビデは主がいつもともにおられるので、心は楽しんだと言います。舌とは賛美を現します。

ハデスとは死後のことです。ダビデは「死後も安心」と言っています。それは主がいつも、共におられるからです。心の平安は主から来るのです。あなたはいつもダビデのように主と共にいますか。主と共にいるなら心は平安です。そうでないと不安と恐れがあるだけです。

使徒2:34-35
ダビデは天に上ったわけでもありません。彼は自分でこう言っています。「主は私の主に言われた。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座についていなさい。」

「わたしがあなたの敵」とは私達を滅ぼそうとする敵でありサタンのことです。キリストはそのために十字架にかかられたのです。

使徒4:25-26
あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を透して、こう言われました。「なぜ異邦人たちは騒ぎたち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。」

今の時代もキリストに反抗する者、また教会に反抗する者、または無関心の人が多いのが現状です。そんな人にもキリストは愛のまなざしを受けておられるのです。

私たちもキリストに倣って愛をもって祈って行きたいと思うのです。
主の祝福が一同の上にありますように。