この時代は、「イスエラエル人の赤ちゃんで男の子は殺せ」と言うエジプト王の命令がありました。しかし、神をおそれる助産婦さんの知恵によって、レビの子の男児は殺されずに済みました。そして川の中にパピルスのかごに赤ちゃんを入れて川に流しました。
赤ちゃんはイスラエル人でしたが、エジプトの王女に拾われてエジプトの息子とされ「モーセ」と名づけられました。「モーセ」とは水から引き出したという意味です。
私たちも洗礼を受けると、もう、この世のものではありません.神の民なのです。
神の祝福の民なのです。
しかしモーセはいつもイスラエルの心がありました。私たちもこの世に住んでいますが実はイスラエル人なのです。神の選びの民であり神に祝福された民なのです。
申命記34:7
モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。
人は上手に体力を保てば120歳までは生きられるのです。私も、モーセに倣って120歳までチャレンジしようと思っております。皆さんはいかがですか。
ヨハネ1:16,17
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
神の恵みによって私たちはもう豊かなのです。恵みは神によって与えられるものだからです。
律法の十戒はモーセがシナイ山で神から受け取りました。しかし恵みは私たちのイエス・キリストを通して受け取っているのです。
ヨハネ5:46,47
もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。
このわたしとはイエス・キリストのことです。モーセが書いたとはイエス・キリストについて書いたというのです。モーセを信じているならキリストも信じるでしょう,というのです。
すなわちモーセが言っていることを信じないであればキリストも信じられないでしょうと、言うのです。皆さんはモーセの証人ですか、それともイエス・キリストの証人ですか。
黙示録15:3,
彼らは、神の歌しもべモーセの歌と子羊とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。
もろもろの民の王よ。・・・」
モーセは民の指導者ですが、子羊とは、イエス・キリストを現しています。
神の御業は偉大です。そして神は万物の支配者でもあるのです。そして神はいつも真実です。また、もろもろの民の王である方です。そんな偉大な方が私たちと共にいてくださるのです。信じられますか、信じるあなたの中におられるのです。
黙示15:4
主よ。だれがあなたを恐れず、御名をたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。
主の祝福が一同の上にありますように。