終わりの日とはそう遠い日ではなく、案外近いかもしれません。「わたしの霊を注ぐ」とは神さまの約束です。

「青年は幻を見」とは、青年には希望があります。ですから活気があるのです。年に関係なく幻とか希望を持つことは大切です。『昔はよかった』などと夢ばかり見ていてはいけません…早く老けます。夢を見るなら希望の夢を持ちたいものです。

使徒2:18
『その日、わたしのしもべにも,はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。』

この預言とは神のことばを語るキリストの証人です。子供も青年も高齢者もです。

使徒2:19
『また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。』
人の罪によって戦争が起こることでしょうか。現に紛争は起こっているのです。
イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシア。
聖書が示す神の愛で早く紛争は治めてほしいものです。

使徒2:20、21
『主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

主の大いなる輝かしい日、とは主の再臨の日でしょうか。太陽は闇となり、月は血に変わる。とはそれほど大きな出来事です。例えば原爆、水爆によって天地が変わるほどの出来事でしょうか。
「しかし主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」これは神の約束です。皆さんイエス様を信じておきましょう。

使徒2:25
ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。…』

ダビデはイスラエルの王になった人でしたが多くの苦難を通ってきました。しかしダビデは自分の目の前に主を見てきたのです。それでいつも勝利してきました。また苦難をも乗り越えることができたのです。

私の右とは勝利を表す言葉です。私たちもいつも目の前に主を見つめ、また信仰の右手で勝利したいものです。

使徒2:26
それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。

ダビデはいつも神を賛美する人でした。
ダビデはいつも神を賛美して喜んだのです。
そしてダビデはいつも困難の中でも平安がありました。

使徒2:27
あなたは私のたましいをハデスに捨てて、置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。

主のしもべは、主に捨てられることはないということでしょうか。いつも主の守りがあります。

使徒2:28
「あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。」
主にあるしもべは朽ちることがありません。
ハレルヤ感謝します。