主にある兄弟姉妹たち、私たちは神の宝と言ってくださっているのです。ここで大切なのは、神を信じ、御子と御言葉に聞き従うならとあるからです。

申命記14:2
あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。

誰が何と言っても私たちは、神の宝の民なのです。感謝しましょう。神が私たちを選んでご自分の宝の民とされたのです。

詩篇119:14
私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。

この作者は「御言葉をどんな宝よりも楽しんでいます」と言っています。私たちも御言葉を宝のように楽しみたいものです。

マラキ3:8
人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。

大阪の西成に救霊会館という教会があります。毎晩100人ほどのホームレスにパンを配っています。仕事といえばアルミ缶を集めて生活費にしています。1日1000円ほどです。そんな人たちに収入の「什分の一は神様に納めなさい」とは言いにくいでしょう。だけど牧師はすすめているそうです。ある人はそれを実行して、住む所が与えられて職も見つかったそうです。これは、十分の一のささげ物の祝福です。

ルカ12:16-21
それから人々にたとえを話された。「ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこういいながら考えた。『どうしょう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしょう、あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。
これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
このたとえは自分のために財産を蓄えて神のために蓄えなかった人の話です。

ルカ12:34
あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。

孫に関心のある人はいつも孫のことを思っています。その孫の語る一つ一つの言葉に耳を傾け聞きます。またその行動にも見守ります。私たちの心を見守るのは何でしょうか。

詩篇119:14-16
私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。私は、あなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます。私はあなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。

この詩編の作者は「神様の教えを喜びとします」と言っています。また神のおきてを宝のように、大切にしていると言っています。