「しかし、主を待ち望む者は新しい力を得る。」とあります。この力はどこからくる力でしょうか。聖霊による力です。私たちも祈って聖霊を待ち望みたいものです。

鷲は鳥類の中でも強い鳥です。また鷲はイエス・キリストを現す言葉でもあるのです。
「イエスと共にあるなら疲れませんよ」というのです。

詩篇27:14
待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。

詩篇の作者は「待ち望め、主を」と薦めています。今の時代も賛美して主を待ち望むのです。祈って主を待ち望むのです。ですから教会の礼拝は大切です。

エレミヤ8:15
平安を待ち望んでも、幸いはなく、癒しの時を待ち望んでも、見よ、恐怖しかない。

これは、祈りがない。信仰もない。神への賛美、感謝もない。教会にも行かない。
そういう人のことです。あるのは虚しさしかありません。

箴言20:24
人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。

この世には自力本願と他力本願とがあります。私たち神様は今も生きておられる神です。

ヨブ3:9
その夜明けの星は暗くなれ。光を待ち望んでも、それはなく、暁のまぶたのあくのを見ることがない。

今、紛争あるウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、気の毒です。誰でも平和を求めているのに。「昼はオドオド、夜も眠れず」です。わたしたちもこの国のために祈りたいものです。早く紛争が止み、平和が来るようにと。

詩篇31:23、24
すべて、主の聖徒たちよ。主を愛しまつれ。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者にはきびしく報いをされる。雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。
「どんな場合でも、主を愛しまつれ」とあります。皆さんは主を愛していますか。
主と共にある信仰生活です。「マンマンチャン、アン」ではないのです。

主は誠実なものを保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いをされる。

とあります。皆さんは神様に対して誠実ですか、それとも高ぶりですか。神は誠実を喜ばれますが、神への高ぶりは嫌われます。

雄々しくあれ、心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。

すべて主にあって雄々しくありたいものです。また心も強くしたいものです。
主を待ち望むとは礼拝の姿です。皆さんは主を礼拝していますか。主を礼拝して主を待ち望むのです。神の報いは神を礼拝する者と共にあるのです。

詩篇32:1,2
幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ.主が、咎をお認めにならない人。心に欺きのないその人は。
罪とは神に背を向けることです。罪をおおわれた人とは、一方的な神の愛の中にいる人です。神は神に帰って来る者を罰せられません。これが神の愛なのです。