今日の題は天職と神職という題ですが、牧師というのは自分から選んだ道ではなく、また人からの推薦で牧師になったのでもありません。神が選び任命してくださったのです。
ですから、牧師は神に仕えて祈るのです。それが務めなのです。祈りが天職であり、神職でもあります。何を祈るのか、まず神をたたえる祈りをします。それから世界平和のために祈るのです。次が祈りの内容です。
「父なる神があがめられますように。イエス様の御名があがめられますように。世界に平和がありますようにまた人々が健康でありますように。救われますように」と、こんな祈りをしているのです。
神をあがめることと、世界の平和と世界の救いの祈りは牧師の務めなのです。

聖書に出てくるパウロは苦難の伝道者です。Ⅱコリント11の22-27

彼らはへブル人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。
彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。彼らはキリストのしもべですか。
私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に 直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。


パウロはこの苦難から逃げ出すこともできたでしょう。しかしパウロはこの使命が彼の天から与えられた天職であり、また神職でもあったのです。すべては神のために、また人々の福音のために労苦したのです。

天職,神職はなにも牧師とか、伝道者だけとは限りません。イエスを信じているすべての人が、この天職と神職を神から預かっているのです。天職と神職とは神に選ばれたものであり神に仕える人たちのことです。

詩篇134
さあ、主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち、夜ごとに主の家で仕える者たちよ。聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。天地を造られた主がシオンからあなたを祝福されるように。

詩篇136:1−9
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
主の主であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。
ただひとり,大いなる不思議を行われる方に。その恵みはとこしえまで。
英知をもって天を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
地を水の上に敷かれた方に。その恵みはとこしえまで。
大いなる光を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
昼を治める太陽を造られた方に。その恵みはとこしえまで。
夜を治める月と星を造られた方に。その恵みはとこしえまで。


詩篇の作者もその恵みはとこしえまでと。神に感謝しています。