復活されたイエスが弟子たちの前に立って「平安があなたがたにあるように」と挨拶されました。平安はヘブル語でシャロームということばです。この「シャローム」とは今でもイスラエル人の挨拶になっています。
日本人の挨拶は単純です。「おはよう」「こんばんわ」など。しかしこの「シャローム」と言う言葉には深い意味があるのです。「お元気ですか」という意味もあれば、「平和がありますように」という意味もあります。
「また幸せですか」と言う意味もあるのです。神との平和、人と人との平和があるようにという祈りも含まれているのです。また「心が穏やかですか」という意味もあります、また「健康ですか」という意味もあるのです。
私たちも日々の生活の中でこの「シャローム」が必要なのです。神様との関係、人と人との関係において皆さんは「シャローム」ですか。
もし穏やかでないなら教会に行きましょう。
イエスが皆さんに、この「シャローム」を与えて下さいます。

箴言3:1、2
わが子よ。私の教えを忘れるな。私の命令を心に留めよ。そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。

これを言ったのはソロモン王です。ソロモン王も父ダビデから教わったのでしょう。
父とはいろんな経験を通して我が子に伝えていくものです。良かったと言う人生はやはり父の言葉、神の言葉を聞く者です。

イザヤ57;1b〜2
まことに、義人はわざわいから取り去られて、平安にはいり、まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。

この義人とはイエスを信じて義とされた人のことです。信仰者はわざわいに遇わないと約束されています。まっすぐに歩む人とは正直な人のことです。正直な人は主が祝福してくださいます。

Ⅱテモテ2:22
それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。

年を取ると情欲も薄れてきますが,心の隅では、まだ若いころの思いは残っているものです。
信仰は一人では難しいものです。ですから信仰の友が必要なのです。
パウロはテモテに勧めているのです。
また、「信仰と愛と平和を求めよ」と言っています。神への信仰は個人の問題です。
神はご存知です。何もかも。ですからこの信仰と愛と平和が必要なのです。

ヤコブ3:17
しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。

純真とは素直な心です。反抗心のない者です。またガミガミ言わない人のことです。
寛容とは人を包む心です。温順とは温かい心です。家庭の平和、人との平和を追い求めていきたいものです。

ユダ2
どうか、あわれみと平安と愛が、あなたがたの上に、ますます豊かにされますように。

ユダも同じことを勧めています。
今の時代、神との平安、人と人とに平安が、必要な時なのです。

主の祝福が一同の上にありますように。