キリスト信仰はキリストを信じれば救われますが、決して楽な道とは言えません。
パウロの生涯は苦難の連続だと言っています。それほど福音宣教は大変なのです。パウロは学者でしたので、楽な道を選ぶことができたでしょう。しかし、彼はあえて宣教のためにキリストの苦難を選んだのです。これこそ本当のキリストの「しもべ」なのです。

キリストの弟子を見ていきたいと思います。マルコ:16−19(リビングバイブル訳)
十二人の名前は次のとおりです。
シモン(イエスによって、「ペテロ」と名付けられた)。ヤコブとヨハネ(ゼベダイの息子で、イエスから「雷の子」と呼ばれた。)アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ(取税人)、トマス、ヤコブ、(アルパヨの息子)、タダイ、シモン(「熱心党」という反体制グループのメンバー)、イスカリオテのユダ(後にイエスを裏切った男)


「シモン」親から付けてもらった名ですが、弱々しい名だったのです。イエスの弟子になったときから、イエスからペテロという名をもらいました。それはペテロとは岩とか,硬い、強いという意味です。皆さんの中に弱いと思っている人はいませんか。イエスにあって強くされるのです。
ヤコブとヨハネは兄弟でガリラヤの漁師でした。イエスがついて来るように言われると、すぐ網を捨てイエスに従いました。皆さん、これが信仰と言うものでしょう。ただ聞くだけの人ではいけません。イエスについて行くのです。

ヤコブもヨハネも気の強い人で、また短気な人でもありましたので、イエスから「雷の子」とも呼ばれていました。そんなヨハネも晩年には愛の人に変えられたのです。
皆さん、信仰によって変えられるのです。参照 Ⅰヨハネの手紙、Ⅱヨハネの手紙、Ⅲヨハネの手紙。

マタイとはマタイの福音書を書いた人です.元税金を取り立てる役人でした.当時イスラエルはローマの属国でしたので、その税金は全部ローに納められるものでしたので嫌われる職業でもありました。しかし、イエスの招きに応じてイエスについて行ったマタイはイエスが語られることを書き留めたので、マタイの福音書ができたのです。
特にイエスの弟子の中でもイスカリオテのユダはイエスを銀貨30枚で売り渡したのです。
金(かね)に目がくらんだのでしょうか。イエスが捕えられた時、イスカリオテのユダはイエスを売ったことに対して後悔しました。彼は首をつって死んでしまいました。皆さん、イエスを裏切る行為は死を意味します。
その反対に最後の最後までイエスに従った人は良い名を残しました。

またイエスに従った女たちもいました。
イエスの十字架と墓を見届けたのです。また復活のイエスにも出会ったのです。
参照(マタイ28章) 私たちも死んだイエスではなく、復活されたイエスに出会えるのです。それが聖霊のバプテスマなのです。

十字架につけた百人隊長は、イエスの祈りを聞いて「まことに、この方は神の子であった」と証言しました。

キリストの弟子で、ルカという人がいます。この人は12弟子ではなかったのですが、イエスの誕生から十字架に至るまで,またキリストの復活に至るまで詳しく書き記しています。それが「ルカによる福音者」です。ルカはお医者さんでしたので、イエスの見聞きしたことを記録しました。私たちも教会で見聞きしたことを、書き留め実行したいものです。